ムーンサルトスクランブルの思い出
           
それは1999年11月3日、秋も深まった晴れた日。私は初めてのFUJIYAMAを体験することを目的に富士急へ向かった。期待に胸をふくらませながら富士吉田インターを出ると、ほどなく、その姿が垣間見れた。

ああ、高い!遠目ながらもその圧倒的高さには、ただならぬものを感じた。

すでに心臓の鼓動は高まる。駐車場に車を止めて、入り口に向かうと、間近で見るFUJIYAMAは、やはり大きかった。支柱類の黒っぽい色調が力強い迫力を感じさせた。ゴォ〜という音と共に滑走し、下りやカーブのたびごとに人々が声を合わせるかのように叫んでいた。これに今日、乗るんだ、そう思うと、何だか妙にせつないような、不安な感じに襲われた。土産物の売り場の中を通る。何だか今どきにしては場末を感じさせる趣だ。

入場ゲートを通り、フリーパスの写真を撮って、物珍しそうにしていると、ふと、先ほどのFUJIYAMAの轟音とは全く違った、聞き慣れない音が、また別の方角から聞こえてくるのに気づいた。

「何だろう?」一瞬そう思ったが、その時はそれ以上は考えなかった。しかし、妙に癇にさわる音だった。何かが擦れるような、荒い、しかし鋭い金属音。歩みを進めるにつれて、その音は否応なく周囲の空気を支配するようになった。

「ゴオ〜」「ザ〜〜」「キィ〜〜」これらが混ざったような、何とも表現しにくい、冷たく、鋭く、攻撃的な音だった。これが、晩秋の富士山麓、冷たく澄み切った空気の中に響きわたっていた。

やがて目に飛び込んできたのは、あの見事な赤橙色のループだった。2つが重なるように配置された、ねじれたループ。そしてそこから平行して真っ直ぐに伸びて、端はまるでサソリの尾のようにピンと伸びて空高くへ向う2本のレール。独特の走行音が、車両の回転に伴って、うなりを生じていた。

その場の緊迫した空気、この世のものとは思えない音、これまで見たことのない異様な形、これらによって、そこは、覗いてはいけないような、異次元の世界の一こまのような感じさえ受けた。

ムーンサルトスクランブル、この不世出の名機との最初で最後の出会いであった。

乗車待ちの列に並ぶ。駅舎はスケートリンクの真ん中にある白い小さな建物。冷蔵庫の中に入ったような冷気が肌を刺した。駅舎の中まで列が進むと、プラットフォームの手前には狭くて粗末な係員の控え室があった。寒さをしのぐために置かれた古ぼけた石油ストーブの火と、はっきり言って汚らしい毛布が目に付いた。

プラットフォーム手前に立っていると、巻き上げてから解き放たれて最高速度で背走して来る車両が狭い駅舎の中を驚くほどのスピードで通り過ぎ、同時に耳をつんざくような、異音が鳴り響いた。まるで金属が擦れるような、振動するような、幾種類もの音が合わさったような、ものすごい騒音だった。私は、一瞬、これはそのうち壊れるんじゃあないか、そんな事を直感した。

1時間ほど待って乗車した。座席は非常に狭く、まるで子供用のコースターみたいだった。ちょっと屈み加減で座るような感じだった。

巻き上げ。澄み切った空に向かって、どんどん登った。すごく高い。右に富士が見える。視線の先は空だ。前方に見えるレールは途切れていた。

スタートした。こんな高いところから、急角度で、しかもバックしながらドロップするのはもちろん初めての体験。駅舎は一瞬にして通過。恐怖感あり。そしてループへ。遠心力によるすごい圧力。2回転して、ひねりもはいるので、どうなったかまったく分からず。とにかく頭を必死に背もたれに押しつけた。

ループを出て直線路を真っ直ぐ登る。バックで登るからシャトルループの拡大版みたいだった。後半は前が見えるからループの入りが意識できた。でも首を固定するのがやっとだった。またすごい勢いで駅舎を通過して・・・たぶんブレーキがかかったと思う。

ほんの短い間に、いろいろなことが起こっていた。でも、ループは、2連を2回まわるのだが、結局、何が何だかわからないような感じで終わってしまった。ただ耐えるので精一杯だった。


それから5ヶ月後の2000年4月初め、ムーンサルトスクランブルは永遠にこの世から姿を消すこととなった。

私がその姿を見、その凄まじいライドを体験したのも、たった一度のこととなってしまった。

異様に冷たく澄み切った富士山麓の空気と真っ白なスケートリンク、そして独特の走行音、赤と白のコントラスト、2つのループ、しっぽがピンと2本そそり立ったあの鋭い姿・・・あまりにも印象深かった初めての富士急。

このときばかりは、はじめてのFUJIYAMAでさえも「おまけ」に過ぎなかった。

        

在りし日のムーンサルトスクランブル(1999.11.3)

(合掌)

       

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